そろそろ… ~飛鳥時代
そろそろ一段落でしょうか。まだまだという方、これからは親の出番の面接よ!という方もいるでしょう。
しかし、今週末からが本番が始まる人もいます。それが“高校受験生”。東京地区は2月10日が中学受験の2月1日!! ここから、より狭き門の争いが始まります。がんばれ~!
【飛鳥時代】
飛鳥時代 593-710 :6世紀末~8世紀
聖徳太子を中心として、十七条の憲法や冠位十二階などの国の仕組みが整えられた。
聖徳太子が推古天皇の摂政となる(593)。石舞台古墳は蘇我馬子の墓?
また、大化の改新(645)をきっかけとして『律令制度』が確立していった 《慶応藤沢13》~大宝律令(701)
飛鳥時代:この時代の前半は蘇我馬子や聖徳太子が冠位十二階・十七条の憲法を制定し、後半は中大兄皇子や中臣鎌足が新しい国づくりに活躍した 《慶応藤沢11》
全国の人々を調査して戸籍にのせ、一定の耕地を与えた 《慶応藤沢11》
律令制の班田収受法。
石舞台古墳~蘇我馬子の墓?【資料】←最近の新聞に関連記事が出てました。NHKでは大化の改新の特集をやってましたね。
仏教伝来:6世紀538? 飛鳥時代の出来事
仏教伝来(538) 百済の聖明王が日本の欽明天皇に仏像や経典を贈った 《慶応藤沢15》
日本に仏教が伝わったとき、聖徳太子に協力して積極的に取り入れたのは蘇我氏であった
蘇我馬子 対 物部守屋 蘇我氏の勝利(587年) 大化の改新(645年)で蘇我氏は滅びる
607年聖徳太子が飛鳥地方に法隆寺を建立
仏教伝来(538) 百済から仏像や経典が渡ってきた 《フェリス16》
聖徳太子が十七条の憲法や冠位十二階の制を定めて、大王(天皇)を中心とした政治のしくみを整えようとした 《慶応藤沢10》
その後、有力豪族の蘇我氏を倒した中大兄皇子は天智天皇となり、天皇を中心とした政治を確立した
地方は国と郡に分けられ、国には天皇が任命した役人が送られ、郡ではその地方の有力者が役人に任命された
律令制度において、天皇の命令で国ごとに派遣されたのが『国司』。国司のもとに(地元有力者の)郡司や里長。
【聖徳太子】
593年に聖徳太子が摂政となる←誰の?
十七条の憲法が制定される。大化の改新。大宝律令が完成する 《慶応藤沢8》
大陸から伝えられた新しい文化を用いて、天皇を中心とする新しい国を作ろうと考えたのが聖徳太子 《JG8》
十七条の憲法①604年:役人(豪族)の守るべき規則。「篤く三宝(仏・法・僧)を敬え」 《フェリス16》→民には関係がないことに注意!
聖徳太子が十七条の憲法や冠位十二階の制を定めて、天皇を中心とした政治のしくみを整えようとした
冠位十二階 603年:才能や手柄に応じて、個人に位が授けられました。これは、異なる色の冠を授ける制度でした 《JG17》
遣隋使 607年:『日出るところの天子…日没するところの天子…』隋の皇帝 煬帝を怒らす 《慶応藤沢15》
聖徳太子・推古天皇の国書を小野妹子が持参。対等な外交を求めたために隋の皇帝 煬帝を怒らせた
遣隋使は7世紀。6世紀に天皇の摂政となった聖徳太子は、隋から政治の仕組みや学問・技術を学ぼうと使者を送り、対等な付き合いを求めました《青山14》
593年、おばの推古天皇を補佐して政治にあたる摂政となった。対等な付き合いを求めた親書『日出るところの天子…日没するところの天子…』 隋の皇帝 煬帝を怒らす
②推古天皇 592ー628 :初めての女帝。摂政となった甥の聖徳太子や豪族の蘇我氏の協力を得て政治を行った 《立教8》
聖徳太子は593年に摂政。603年、冠位十二階。604年、十七条の憲法
法隆寺 6末から7世紀初め:聖徳太子が奈良県斑鳩町に建てたとされる世界最古の木造建築 《JG17》 日本最初の仏教文化である飛鳥文化の代表。ユネスコの世界文化遺産
7-8世紀になると発見される文字資料の量が急に多くなる←文字の普及
聖徳太子が創建した世界最古の木造建築 《JG8》
聖徳太子が建立した「現存する木造最古の建造物」。世界遺産に登録 《日女13》
大化の改新と大宝律令は次回へ。
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